「どう生きて、どう死ぬか」
人は必ず死にます。
2025年時点、不老不死に至る方法は見つかっていませんし、エリクサーのように万病に効く薬も開発されていません。
明日死ぬかもしれないし、10年後に死ぬかもしれない。
これは誰にも避けて通れない道です。
死に至る直前、多くの人は意識がありません。
意識が無い=自分の意志を伝えることが出来ない。
自分の意見がはっきり言えるうちに「これからの治療や介護についてどうしたいか」を前もって考える。
そして話すことが出来なくなったとき、伝えて貰えるように事前に親族や関係者へ話しておく。
それが「ACP(エー・シー・ピー)」、アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)です。
〇 具体的に何を話し合う?
① どんな治療を受けたいか、受けたくないか(延命治療、透析、胃婁など)
② 最期をどこで過ごしたいか(家?病院?)
③ 何を大切にしたいか(痛みをとる、家族と過ごす、家で死ぬなど)
医療ソーシャルワーカー目線で言うと、この3つが大きなポイントになります。
それぞれ見ていきましょう。
① どんな治療を受けたいか、受けたくないか
個人の価値観によって、捉え方は大きく変わります。
・人工呼吸器は使って欲しいが、心臓マッサージはいらない
・口から食事が出来なくなった時点で、経管栄養も胃婁も希望しない
・意識があるうちは全部して欲しい。意識が無くなれば何もしてほしくない 等々
人は漠然とでも、何かしらの死生観を持っています。
しかし近しい家族や関係者に伝えていない場合、それが反映されません。
急に病院へ搬送された時、あなたの意識が無いとしましょう。
家族はあなたの死が目前に迫った時、死に近づく選択肢を積極的に取れません。
(疎遠・関係性が非常に薄い等を除く)
意識が無いから食事が出来ない。意識が戻る可能性は低い。
① 経管栄養で鼻からチューブを入れて栄養を入れなければこのまま死ぬ
② 栄養を入れれば生命活動は維持できる
この状況になった際、ACPを事前に話し合っていなければ、家族が「自分の選択で死に向かう」①を選ぶことは非常に困難です。
間接的に死を容認する選択。
家族が自分だけの意見で決めるのは荷が勝ちすぎます。
しかも往々にして、こういった状況になった場合、考える時間は非常に限られます。
死に際を自分で選びたい、家族に無理な選択肢を迫りたくない。
そう考えるのであれば、しっかり意思表示が出来るうちに言葉や書面で伝えましょう。
それが自分、家族のためにもなります。
② 苦しくなったとき、どう過ごしたいか
いわゆる「どこで死にたいか」です。
難しく考える必要はありません。「家か家以外か」です。
住環境、家族の介護力、必要最低限の医療体制など。
クリアする条件は多々ありますが、それが整った場合に最後をどこで迎えたいか。
医療ソーシャルワーカーは最大限、それが叶うように動きます。
家族の意向があるので本人の意見だけでは決まりませんが、選択する材料にはなり得ます。
③ 何を大切にしたいか
・痛みを少なくして欲しい。
・家族との面会が多く出来る施設に入りたい。
・生まれ育った地域の施設で死にたい。
痛みを少なくして欲しいなら、疼痛緩和が出来る病院を探します。
面会を多くしたいのであれば、面会の頻度や時間が多く取れる施設を探します。
生まれ育った地域の施設を希望する場合は、指定された地域を中心に施設を探します。
何も希望が無ければ、あなたの意見は考慮されずに決まります。
大事にしたい「もの」があれば、必ず伝えておきましょう。
まとめ
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どう生きて、どう死ぬかを元気なうちに考える
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家族や関係者に事前に伝えておく
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伝えた家族、関係者と良好な関係を築いておく
どうにもならないこの世の中。
生き様、死に様ぐらいは選びたい。
譲れない価値観があるのであれば、それを元気なうちに伝えておきましょう。
価値観は変わるので、定期的に見直すことをお薦めします。
家族に多大な負担が生じる案は、ダメですよ。
単純に嫌われます。娘、息子が全部介護する!!などは論外です。
自分の意向と家族の生活とすり合わせた案がベストです。
さぁ、元気なうちにノートに書いてみませんか?
自分で言いましょう。